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沢木耕太郎の本名と経歴|藤圭子との関係と著書流星ひとつの内容や宇多田照實に激怒された理由も

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今回は、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんについて見ていきたいと思います。

プロフィールや経歴は、どうなっているのでしょう。

そして、どうして本名がどこにも載っておらず、公表しないのか、その理由は分かっているのでしょうか。

さて、沢木耕太郎さんといえば、話題なのが著書の『流星ひとつ』。

藤圭子さんとの関係を描いた作品だといいますが、これに対して、宇多田照實さんが激怒した理由とは、いったい…?

さっそく、ご覧ください。

1.沢木耕太郎のプロフィールと経歴

それでは、沢木耕太郎さんのプロフィール、経歴を見てまいりましょう。

沢木耕太郎さんは、1947年11月29日、東京都出身の71歳。

ノンフィクション作家としては、その経歴はあまりにも異色でした。

横浜国立大学経済学部を卒業して、富士銀行に入行が決まったという、超エリートだった沢木耕太郎さん。

ところが、なんと、富士銀行に入行しようというまさにその日に辞めてしまったというのです。

安定した生活を自発的に放棄してしまった沢木耕太郎さんは、1970年、『防人のブルース』によって、ルポライターデビューし、作家生活に入っていきます。

そして、『テロルの決算』によって、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞して、ノンフィクション作家として注目を集めていくことに。

そんな沢木耕太郎さんは、ノンフィクションだけにとどまらず、小説、エッセイでも活躍。

主な著書には、『一瞬の夏』、『深夜特急』シリーズ、『春に散る』などがあります。

新田次郎文学賞、講談社エッセイ賞、菊池寛賞、講談社ノンフィクション賞、司馬遼太郎賞など、受賞歴も豊富になっていました。

さらに、沢木耕太郎さんは、写真家もするなど、極めてマルチに活動を展開していくことに。

富士銀行に入行しないで作家活動に入ったものの、これだけの大成功を収めることができましたので、実力もさることながら幸運だったといえそうですね。

2.沢木耕太郎の本名はどこにも載ってない?公表しない理由は?

以上が沢木耕太郎さんの経歴となりますが、1つ、とても不思議で仕方がないことがありました。

それは、「沢木耕太郎」はペンネームであって、本名ではなかったのですが、その肝心の本名が不明だということ。

「沢木耕太郎」がペンネームだったこともおどろきでした。

しかし、本名が不明なばかりか、どこを探しても見つからなかったので、さらに信じられません。

沢木耕太郎さんは、雑誌の取材で、本名が公表されていないことについて、どうしてなのかと質問を受けたこともあったといいます。

これだけ有名な人の本名が分からないばかりか、そもそも公表されていない理由とは、いったい、どのようなものだったのでしょうか。

失礼ですが、何か公表できない理由でもあるというのか、実に興味深いところですよね?

が、この疑問に対しては、ほかならぬ沢木耕太郎さん自身が、ちゃんと答えておりました。

それは実にあっけない感じのものでした。

「沢木耕太郎」というペンネームを使っているので、わざわざ本名を名乗る必要性がない、という趣旨のものだったのです。

言われてみれば、確かにその通りかもしれませんが、それでは、世の中の芸能人などはみんな本名を公表できなくなってしまいます。

分かるような分からないような理屈ではないでしょうか。

もしかしたら、ほかに公表しない理由があるのかもしれませんが、それならそれで明らかになってくればいいですね。

[aside]【田澤利行とは?】
2008年頃に沢木耕太郎さんの本名が「田澤利行」ではないか?という噂が流れたことがありました。

その情報が書かれていた資料ページは現在削除されているようで確認できません。

家族や友人、または沢木さんが1日で辞めた銀行の採用担当者であれば知っているでしょうが、現在のところ本名を知るすべはないですね。[/aside]

3.沢木耕太郎と藤圭子の関係や流星ひとつに宇多田照實が激怒の理由

沢木耕太郎さんは、本名だけではなく、著書をめぐっても物議をかもしています。

その著書とは『流星ひとつ』。

宇多田照實さんの嫁、宇多田ヒカルさんの母で、亡くなった藤圭子さんとの関係を描いたものだったのです。

これに宇多田照實さんが激怒したというのですが、どのような理由だったのでしょう。

沢木耕太郎さんは、藤圭子さんのノンフィクションを書くため、本人と接触したのですが、あろうことか、特殊な関係に発展してしまったとのこと。

その後、沢木耕太郎さんは藤圭子さんから離れ、藤圭子さんは宇多田照實さんに移り、『流星ひとつ』執筆のための藤圭子さんへのインタビュー内容は、藤圭子さん死去まで、33年封印されてきたのです。

が、藤圭子さんが亡くなるや否や、藤圭子さんのインタビュー内容は、『流星ひとつ』としてスピード出版。

当然、世間に明らかにされたわけなのですが、そこでは、生い立ちといったことから、喉の手術で声が変わったため引退を決めたことなどが、藤圭子さんによって語られていたのです。

自分の嫁を捨て、30年以上も経って、嫁が亡くなってからこんな本を出されたのでは、宇多田照實さんも平常心ではいられなかったのでしょうね。

沢木耕太郎さんも、もし出すなら出すで、もっと早く、藤圭子さんの存命中にしておいたほうがマシだったのかもしれません。


流星ひとつ/沢木 耕太郎


まさか、沢木耕太郎さんがこれだけ興味深い人物だったとは知りませんでしたから、事実は小説よりも奇なりですね。

そんな沢木耕太郎さんは、2019年3月28日の『ゴロウ・デラックス』最終回に出演されました。

有終の美を飾る最高のゲストでしたね。

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