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令和を名付けた人(考案者)の名前や公表されない理由は?他の元号候補は何だったのかを調査

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新元号に令和が決まり、まだフィーバーが冷めやりませんね。

さて、この令和を名付けた人、つまり考案者は誰だったのでしょう。

名前が発表されない理由とは…?

また、令和に決まったことによって、結果的に採用されなかった他の元号候補は、いったい、何だったのでしょうか。

一方、令和といえば、出典の由来が万葉集で、初めて日本の和歌集からということでも話題ですよね。

この理由や意図についても、調べてみました。

それではさっそく、ご覧ください。

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追記: 政府関係者が中西進氏考案と認める

政府は2019年4月19日に、元号「令和」の選考過程の議事録を公表しました。

考案者やその他の広報等については公表しませんでしたが、朝日新聞の取材に対し政府関係者が、令和の考案者を中西進氏だと認めたようです。

これによって、以下のリークが本当だったと言うことがわかりましたね。

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1.令和を名付けた人(考案者)は誰?

2019年5月1日をもって、元号が平成から新元号に改元されることになりました。

これに先立ち、4月1日に発表された令和という新元号が大変、話題です。

何が話題かといいますと、30年ぶりの改元ということもあって、ネーミングもさることながら、令和を名付けた人、考案者は誰だったのか?ということもそうだったのです。

政府は公式に発表していないとはいえ、名付けた人、考案者の名前が分かっているのか、気になりますよね。

実は、すでに政府関係者によってリークされてしまったようで、名前が挙げられていました。

それは、中西進さんという人だったのです。

本人はマスコミの取材に回答を控えていますが、可能性は濃厚そうですね。

中西進さんは、1929年8月21日、東京府出身の89歳。

万葉集研究者で、国際日本文化研究センター名誉教授などを務めています。

一方、平成を名付けた人も気になりますが、山本達郎さんだと判明していました。

山本達郎さんは、1910年6月16日、東京府生まれ。

2001年1月24日、90歳で亡くなっています。

東洋史研究者で、東京大学名誉教授を務めました。

令和は、事実であれば、数日で発覚してしまったことになりますので、興味深い半面、情報管理の面では疑問も残りそうですね。

2.令和の考案者が発表されない理由は?

ということで、政府は公式に発表していないものの、中西進さん?とリークされてしまっていた、令和の考案者。

しかし、政府はあくまでも沈黙していますので、公式に発表されない理由が知りたいところ。

なにか、発表されない理由として、なるほどというようなことが挙げられていたのでしょうか?

調べてみたところ、考案者がばれたら、本人に影響が出てしまうということが挙げられていました。

たしかに、動物園の動物の命名とはわけが違いますので、特定されたら何かと面倒そうですよね。

そもそも、元号には天皇が国民の時間を支配するという意味もありますので、そんなものを考案したのが自分だと知られたい学識者はまずいないでしょう。

それなのに、考案者が、平成はハッキリ、令和も事実上特定されていたわけですから、あらためて情報管理が問われそうです。

3.令和以外の元号候補は何だったのか?

新元号が令和と決まって大騒ぎなわけですが、令和に決定して採用されなかった他の候補は何だったのかも気になりますよね。

ちなみに平成のときは、「正化」、「修文」が他の候補で、今さらこう言っては何ですが、なんだか平成よりも元号っぽい感じがしなくもないですね。

さて、今回の令和の対立候補ですが、考案者同様、たったの数日でリークされていました。

それは、「万保」、「万和」、「広至」、「英弘」、「久化」。

これまた、令和よりも元号っぽく感じるのは私だけでしょうか?

とくに「万保」、「万和」あたりは江戸時代にとっくにありそうなネーミングです。

新元号といえば、令和に決まって全国の令和さんがネタにされるという話題もありましたが、「英弘」だったら、もっと男性がたくさんいたでしょうから、これにならなくてよかったかもしれませんね。

4.令和の由来は万葉集|初めて日本の和歌集から

令和といえば、話題の1つとして、由来がこれまでのように中国の書物ではなく、日本の万葉集だったことがありましたよね。

初めて日本の和歌集から採用となったわけですが、その理由や意図は何だったのでしょう?

令和に引用されたのは、万葉集のうち、「梅花の歌三十二首」。

「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」という個所から引用されていました。

安倍晋三首相は、引用の理由として、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意図だったと説明していました。

さすが万葉集だけあって、令和や「梅花の歌三十二首」そのものには風雅な趣がありますが、この意図はちょっとすぐにはイメージできないかもしれませんね。

とはいえ、今後、改元されるたびに、令和みたいに国書から採用される流れが確立していくのかどうか、注目となっていくことでしょう。

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憲政史上初の、天皇陛下の譲位に伴う改元、そして元号の事前公表という異例の事例となった、令和。

発表後間もないため、まだまだなれない部分もありますが、さまざまな意味で新鮮な元号なのはたしかです。

これから国民生活にしっかり溶け込んでいけばいいですね。

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