ここでは、俳優やミュージシャンとして活動してきた寺尾聰さんについて、チェックしていきたいと思います。
寺尾聰さんは、いったい、今までに、どういったプロフィールをたどってきたのでしょうか。
さて、寺尾聰さんといえば、一般的に、あの名曲「ルビーの指環」によって、よく知られている存在ですよね。
それでは、この「ルビーの指環」が発表されたころ、寺尾聰さんはいくつだったのでしょうか。
また、「ルビーの指環」が発表されたころと、2021年現在との、寺尾聰さんの顔画像の比較もしていきたいと思います。
さらに、寺尾聰さんがこれまでに発表してきた人気曲の一覧もご紹介してまいりますので、あわせてご覧ください。
1.寺尾聰の俳優経歴
寺尾聰さんは、1947年5月18日、神奈川県の出身で、2021年3月現在の年齢は、73歳となっています。
父親は俳優の宇野重吉さんという家庭で生まれ育った、寺尾聰さん。
法政大学第二高校、文化学院で学んでいき、1965年、ザ・サベージを結成して、1966年、レコード「いつまでもいつまでも」のリリースによって音楽デビュー。
その後、「この手のひらに愛を」がヒットしたものの脱退して、ザ・ホワイト・キックスに加入しますが、こちらも解散しました。
そして寺尾聰さんは、1968年、映画『黒部の太陽』への出演によって、俳優デビューしたのです。
1970年には、ドラマ『大風呂敷』への出演によって、ドラマデビュー。
こうして寺尾聰さんは、俳優、ミュージシャンとして、それぞれ活躍していき、どちらでも大成功を収めることになったのでした。
1981年には、『NHK紅白歌合戦』へも初出場しています。
1980年代後半に入ると、寺尾聰さんは、俳優活動がメインになっていくものの、2005年には、音楽活動も再始動。
2007年には、ひさびさに『NHK紅白歌合戦』への出場もはたしました。
なお、プライベートにおいては、モデルの星野真弓さんと結婚しています。
そんな寺尾聰さんがこれまでに出演してきた映画は、『乱』、『夢』、『失楽園』、『雨あがる』、『半落ち』、『博士の愛した数式』など。
ドラマは、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』、NHK連続テレビ小説『こころ』、『太陽にほえろ!』、『西部警察』、『ようこそ、わが家へ』、『仰げば尊し』などとなっていました。
また、受賞歴は、俳優としては、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞、日刊スポーツ映画大賞主演男優賞、日本映画批評家大賞主演男優賞、など。
ミュージシャンとしては、日本レコード大賞大賞、日本歌謡大賞大賞、FNS歌謡祭グランプリ、全日本有線放送大賞上半期グランプリ、ゴールデン・アロー賞音楽賞、などとなっています。
さらに、紫綬褒章、旭日小綬章を受章していました。
あまりにも輝かしい実績で、コメントすらことすらむずかしいくらいですね。
2.寺尾聰の「ルビーの指環」当時の年齢
さて、これまでに、ミュージシャンとして数々の名曲を放ってきた寺尾聰さんですが、もっとも有名なのは、やはり「ルビーの指環」ではないでしょうか。
もはや、日本人なら聴いたことがない人はいないといっていいメロディですよね。
では、寺尾聰さんが「ルビーの指環」を発表した当時、年齢はいくつだったのでしょうか。
寺尾聰さんが「ルビーの指環」を発表したのは、1981年2月5日のことでした。
冒頭でも述べましたように、寺尾聰さんは1947年5月18日生まれですので、当時は33歳だったことになりますね。
なお、この「ルビーの指環」は、寺尾聰さんの最大のヒット曲となって、日本レコード大賞大賞を受賞したほか、2回に及ぶ『NHK紅白歌合戦』への出場曲もこの曲だったのでした。
3.寺尾聰の「ルビーの指環」当時と現在との顔画像比較
寺尾聰さんは、俳優としてもミュージシャンとしても大成しただけあって、二枚目のシブい風貌に定評があります。
では、「ルビーの指環」が発表された1981年当時と2021年現在とでは、その外見にどのような違いがあったのでしょう。
1981年当時の寺尾聰さんは、サングラスをしていることが多く、むしろ今よりも貫禄が漂っていました。
とはいえ、やはりダンディーながらも新鮮ですね。
一方、2021年現在は、もともと貫禄のあった表情にさらに威厳がみなぎっていました。
よって、比較してみても、過去も今も、それぞれ異なった魅力があるといえそうです。
4.寺尾聰の人気曲一覧
おしまいに、これまでに発表されてきた寺尾聰さんの人気曲を振り返ってまいりましょう。
有名どころでは、「ほんとに久しぶりだね」、「16の夏」、「SHADOW CITY」、「出航 SASURAI」などがありました。
なお、「ほんとに久しぶりだね」は、『大阪、三月、三年』の主題歌にタイアップ。
「16の夏」は、田辺靖雄さんとのデュエットとなっていました。
演劇にも音楽にも欠かせない人材だった、寺尾聰さん。
いずれでも名作を多数残しておりますから、驚嘆させられました。
今後も、そんな寺尾聰さんのますますの活躍を願いたいと思います。