ここでは、音楽プロデューサーとして活躍している渡辺忠孝さんについて、特集していきたいと思います。
いままでに、たくさんのアーティストのプロデュースにかかわってきた、渡辺忠孝さん。
また、筒美京平さんの弟としても知られてきました。
そんな渡辺忠孝さんの音楽プロデューサーとしての経歴とは、はたして、どういったものだったのでしょうか?
さっそく、確認していきましょう。
また、渡辺忠孝さんがプロデュースしたロックバンド・CCBがヒットした経緯はどのようなものだったのか、渡辺忠孝さんがプロデュースを担当してきたアーティストにはどういった人々がいたのかも、調べてみました。
1.渡辺忠孝(筒美京平の弟)の音楽プロデューサー経歴
渡辺忠孝さんは、生まれた年月日や出身地については、分かっていませんでした。
ただし、渡辺忠孝さんは、作曲家、編曲家として活躍した筒美京平さんの弟であり、筒美京平さんは、1940年、東京都の出身者です。
したがって、渡辺忠孝さんも、1940年代前半、東京都生まれの可能性が高そうですね。
その場合、渡辺忠孝さんの年齢は、2020年現在、80歳近くということになります。
渡辺忠孝さんは、音楽プロデューサーとして活躍し、後述しますように、さまざまなアーティストのプロデュースを手掛けてきました。
兄である筒美京平さんともども、その日本の音楽業界における貢献は、はかりしれないものがあるといってもいいでしょう。
兄弟そろって、これだけ活躍してきたとは、本当に見事であるとしかいいようがありません。
そんな渡辺忠孝さんは、メディアへの出演では、ラジオ番組である『午前0時の歌謡祭』がよく知られています。
続いては、渡辺忠孝さんの兄である筒美京平さんの経歴も、あわせて見ていくことにしましょう。
2.筒美京平の経歴
渡辺忠孝さんの兄である筒美京平さんは、1940年5月28日、東京都の出身です。
本名は「渡辺栄吉」でした。
筒美京平さんは、まだ幼稚園だったときから音楽をスタート。
学校は青山学院で、小学校は青山学院初等部、中学校・高校は青山学院中等部・高等部、大学は青山学院大学経済学部で学んでいます。
そんな筒美京平さんは、大学を卒業すると、ユニバーサルミュージックの前身である日本グラモフォンに入社して、ディレクターとなりました。
その一方で、すぎやまこういちさんから、作曲や編曲を学んでいくことに。
やがて筒美京平さんは、1966年に、「黄色いレモン」によって、作曲家としてデビューします。
以後、筒美京平さんは、ポップスから、アニソンに至るまで、多様なジャンルにおいて、活躍。
1968年には、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットして、頭角を現していきました。
音楽賞では、1971年に、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」で、そして1979年に、ジュディ・オングさんの「魅せられて」で、それぞれ日本レコード大賞を受賞しています。
セールスにおいては、なんと、1971年から1973年まで3年連続、1975年から1976年まで2年連続、1981年から1983年まで3年連続、さらに、1985年、1987年と、トータルで10回におよぶ、日本の作曲家としてのレコード売り上げ年間1位という、偉業を達成しました。
そんな筒美京平さんは、2003年には、長年の実績が評価されて、紫綬褒章を受章することに。
ところが、筒美京平さんは、2020年10月7日、惜しまれながら、80歳にして亡くなりました。
筒美京平さんの長年にわたる日本の音楽に対する貢献を偲びたいですね。
3.渡辺忠孝(筒美京平の弟)のCCBのヒット経緯
次で取り上げますように、渡辺忠孝さんは多数のアーティストを手がけています。
が、そんななかでも有名なのが、CCB。
CCBがヒットした経緯とは、自主製作のカセットテープに収められていた曲が、渡辺忠孝さんの目に留まったことでした。
そして渡辺忠孝さんから、CCBをプロデュースしたいと言い出して、筒美京平さんに作曲を頼むことになったのですね。
その結果誕生したのが、あのCCBの代表曲である「Romanticが止まらない」だったのでした。
まさか、このような偶然がキッカケだったとは、運命を感じずにはいられませんね。
4.渡辺忠孝(筒美京平の弟)の担当アーティスト
おしまいに、渡辺忠孝さんが担当してきたアーティストを振り返っていきましょう。
それは、CCBをはじめ、そうそうたる面々でした。
ソロでは、森山良子さん、野口五郎さん、浜田麻里さん、今井美樹さん、KANさん、山崎まさよしさん、など。
グループでは、コブクロなど。
みんなそれぞれジャンルが異なるアーティストだけに、渡辺忠孝さんの音楽における多様性が再認識させられますね。
渡辺忠孝さんといい、筒美京平さんといい、兄弟そろって、音楽への足跡は偉大なものでした。
筒美京平さんが亡くなったことは残念ですが、そのぶん、渡辺忠孝さんにがんばってほしいですね。
この機会に、2人が手がけた楽曲を再視聴してみたいものです。